ママ・パパの呪いーナイルパーチの女子会ー
自分が高校生の頃、母親をママと呼んでしまっていたことに苦しめられていた。
小学3年生から、ママ呼びに幼稚さを感じて、どうにかして「お母さん」「母さん」「おかん」「おふくろ」に変えようと頑張っていたが、米粒くらいのときから染みついたママは簡単に取れなかった。
母親にとってもママは若々しさのニュアンスも含んでいたらしく、ママと呼ばれることを逆に良しとして、推奨していた感はあった。
なので、大学生頃からは、母親に母親自身の歳を自覚させようと「ばばあ」と呼んだ。さすがにキレた。それでも俺は根気強くばばあと呼んだ。
母親は見事に慣れた。すごい。
別に呼び方なんてどうでもいいはず。その家族の文化なのだから、ママだろうがパパだろうがなんだっていいはずなのに、30歳の主人公が父親をパパと呼んでいる描写には、マジか!と思ってしまった。
ナイルパーチの女子会によって、偏見の1つを発見させられた。
次回もナイルパーチの女子会です。
参考文献