ポエマー

中学生のころ女子どもがポエムを書いてました。具体的な文言は忘れましたが、「泣きたくなったら泣けばいい。ほら空だってなんたらかんたら」の類いです。
私も女子に負けじと感傷にずっぽり浸り、下校途中にひとりでつぶやく凶行をしていた記憶がうっすらあります。

ホワイト企業でも忙しい

日本は3月決算の会社が多いので、年度末が近づくと、来年度の予算を策定します。
年明けからそれに追われてました。
7時半出社の19時半退勤。

疲れました!

もっと忙しい会社はきっともっと働いているしでしょう。

マジで無理すんじゃねーぞ。

予算なんてファンタジーだから。
誰も未来のことは分かりもしないのに、この数字で予算組みますって、寝言未満と思ってます。

ファンタジーを無理矢理実現しようとするから、世の中のサラリーマンは身も心も削ってます。

しっかり食べてしっかり寝ろよ!

そして僕にコンドームをくれ

この先、世の中はどうなるんだろうと想像したとき、Mr.Childrenの「マシンガンをぶっ放せ」が浮かびました。

あの曲は世の中が混乱したときの本質をバチッと表現しています。

曲の全体は社会を風刺する調子です。
歌い出しは1995年に起きたフランスの核実験を連想させる歌詞です(以下、下線部は引用を意味します)。

あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る

「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」

 

特に以下の歌詞が現代では刺さると思います。

 

愛せよ 目の前の疫病を
憎めよ 無能なる組織を
そして僕にコンドームをくれ

 

この歌詞の背景にはHIVの流行がありますが、病気の流行の本質だと思います。

経済を止めて抑え込んだと思っていたコロナは、新変異株によって流行してしまう。

ウィズコロナが叫ばれる由来は、疫病と共存・同居しなければならない。

比喩的にいうと「愛する」ということでしょうか。

「無能なる組織」は言わなくても分かりますよね?

「そして僕にコンドームをくれ」はワクチンのことでしょうか。「そして」があることによって、つべこべいいからとりあえず対処法なり薬なりをよこせという供給不足が想像できます。

 

最後に本曲の最大の歌詞が以下です。

 

見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother

 

連続殺人事件やテロに限定した歌であれば、敵は見えているので、「見えない」という修飾は合っていません。

また、疫病や天災に敵はいません。いずれも自然現象だからです。

だから理屈だけで考えると、「見えない敵」と表現することは違和感があります。

しかし、違和感はありません。
なぜでしょう。

よく考えてみると、罪を犯してしまった人は、罪人になるべくして生まれたわけではなく、外部環境が多分に影響して、凡人が犯罪者に変身します。

また、疫病にしろ天災にしろ、被害を軽減したり、社会・経済ダメージを回復させるのは人間です。

人間ひとりひとりの思惑が、絡みに絡んで、疫病を広めてしまったり、災害からの復興が遅れてしまうと思います。

だから、犯罪者の発生原因や疫病の蔓延の敵は必然的に不特定多数になります。

つまり「見えない敵」です。

見えないし分からないからこそ、マシンガンという連射できる武器(現代でいうとSNSがこれにあたると思います)で当たり散らすしかないのです。

 

歌詞引用元 Mr.Children「マシンガンをぶっ放せ」1996年。

 

トリレンマ(ヾノ・∀・`)

以前、エクセル、基本情報技術者、小説、ブログを継続する記しましたが難しい!
エクセルは仕事中にやるとして、残りの3つを平日にこなすのは時間がない!
なのでしばらくは小説を切り捨てることにしました。
なぜかというとお金にならないから。
基本情報技術者に合格すれば会社から手当てが出るし、来月には下位のITパスポートを受けます。これも一時金をもらえます。
勉強に余裕が出たら小説を再開すると思います。

明日からブログの内容は基本情報技術者の復習になります。
つまらなそう。

ちょうどよく幸せな瞬間

平場の月「ちょうどよくしあわせなんだ」

一昨日に引き続いて同じ章ですが、共感した部分があったのでご容赦ください。

29ページに須藤が日常の幸せな瞬間を青砥に話している箇所です。

「仕事が終わって、自販機でガチャコンってミルクコーヒー買って、飲みながら家までぶらぶら歩いて帰るんだ。甘味が喉を通っていって、よそん家の洗濯物や、自分の影や、空の具合や、風の行先や、可愛いチー坊を眺めると、ちょうどよくしあわせなんだ」

 

「いいよねぇ」って思いながら読みました。
私の場合、仕事終わりはとにかく腹が減ってせかせかしているので、幸福に感じることはないですが、会社の先輩・同期、仲の良い友達と飲んだ帰りに最寄り駅のコンビニでココアかレモネードを買って、住宅の窓の明かりや公園でたむろしている高校生や、野良猫がウロウロ歩いているのを見ると、満たされます。

この現象は何でしょうか。お金をもらったわけでもない。褒められたわけでもない。自分の生活が物質的にプラスになったわけでもなければ、自分が評価されたわけでもないのに幸せなんです。きっと、飲み会の帰りという前提がとても重要なはずですが、なぜ重要なのか分析できません。人と話し尽くすという行為が重要なのでしょうか。ちなみにアルコールが要因ではないと思います。お酒は苦手なので2杯くらい弱い酒を飲んだらジンジャーエール飲みます。

飲み会はここ2年間無いので、ちょうどよくしあわせな瞬間に久しいですが、そのうち会えるでしょう。

人類がよりよく賢くなれば。

 

 

一周回って苗字で呼び合いたい

平場の月「ちょうどよく幸せなんだ」

 

青砥と須藤は苗字で呼び合います。下の名前でもなく、学生時代のニックネームでもなく、苗字です。会話はとても軽快です。まさに息の合ったキャッチボールです。

私は男女問わずのこの関係性に憧れましたし、今も憧れています。

 

 

ナイチパールの女子会と関連しますが、一般的に仲が良いと下の名前で呼ぶことがあります。

しかし、むしろ仲良くなるために下の名前で呼び合うことを強いるようなケースが多いと個人的には思っています。

特に高校と大学において、入学式後や新クラス編成後はそういったケースに多々遭いました。

「俺のことは〇〇で呼んで」「うちのことは〇〇でいいよ」などと言われましたが、初対面の人をいきなり下の名前で呼ぶには躊躇します。

いきなり肩を組まれている気分です。

苗字で充分だと思っています。むしろ親密ではないのだから心理的距離を確認するためにも苗字が適切だと思います。

じゃあ仲良くなったら苗字を止めて名前で呼び始めるのかと問われると呼びません。

仲良くなったから次から下の名前で呼ばせてね!なんて恥ずかしいでしょうよ。

仲良くなったからこそ呼び方なんてどうでもいいという領域にたどり着きたいです。

今思い返すと、私が呼びたいように呼んでいた学生時代の友達は今でも連絡を取り合っています。

逆に、同調圧力でそう呼ばざるをえなった友達とは疎遠になっています。

 

きっといきなり下の名前で呼び合う人達は私みたいに細かいところをチマチマしていない人なんでしょうね。

 

 

古代企業

エクセルの勉強も始めました。
全部の法人、個人事業主に適用される電子帳簿保存法によって保管した電子媒体の一覧表を作成しなくてはいけません。
しかも来年1月1日から。
一覧表をどう作るかを試行錯誤しています。形式上、保管してあればいいんでしょうけど、後々になって一覧表の欠陥を指摘されて、時間を喰うのは嫌なので今のうちに記録しやすいエクセルを作っておこうということです。
題名にあるように弊社は古代企業。
パソコンはつい最近までWindowsVISTAを使い、社内システムは保守業者でも保守しきれないオーパーツ的なシステムです。
ローテク企業にエクセルを使いこなせる人間がいるわけもなく、私も含めて使える関数はsumとaverageくらいです。それ以外は手入力で表をつくっています。

YouTubeでエクセルを調べるとわんさかありました。一日中、片っ端から見ましたが皆さん分かりやすいです。
すごいです。
古代人にも分かりました。

この年末年始は、基本情報技術者と小説とブログとエクセルの勉強を継続します。
昨日、サボりましたが。