ちょうどよく幸せな瞬間

平場の月「ちょうどよくしあわせなんだ」

一昨日に引き続いて同じ章ですが、共感した部分があったのでご容赦ください。

29ページに須藤が日常の幸せな瞬間を青砥に話している箇所です。

「仕事が終わって、自販機でガチャコンってミルクコーヒー買って、飲みながら家までぶらぶら歩いて帰るんだ。甘味が喉を通っていって、よそん家の洗濯物や、自分の影や、空の具合や、風の行先や、可愛いチー坊を眺めると、ちょうどよくしあわせなんだ」

 

「いいよねぇ」って思いながら読みました。
私の場合、仕事終わりはとにかく腹が減ってせかせかしているので、幸福に感じることはないですが、会社の先輩・同期、仲の良い友達と飲んだ帰りに最寄り駅のコンビニでココアかレモネードを買って、住宅の窓の明かりや公園でたむろしている高校生や、野良猫がウロウロ歩いているのを見ると、満たされます。

この現象は何でしょうか。お金をもらったわけでもない。褒められたわけでもない。自分の生活が物質的にプラスになったわけでもなければ、自分が評価されたわけでもないのに幸せなんです。きっと、飲み会の帰りという前提がとても重要なはずですが、なぜ重要なのか分析できません。人と話し尽くすという行為が重要なのでしょうか。ちなみにアルコールが要因ではないと思います。お酒は苦手なので2杯くらい弱い酒を飲んだらジンジャーエール飲みます。

飲み会はここ2年間無いので、ちょうどよくしあわせな瞬間に久しいですが、そのうち会えるでしょう。

人類がよりよく賢くなれば。