そして僕にコンドームをくれ

この先、世の中はどうなるんだろうと想像したとき、Mr.Childrenの「マシンガンをぶっ放せ」が浮かびました。

あの曲は世の中が混乱したときの本質をバチッと表現しています。

曲の全体は社会を風刺する調子です。
歌い出しは1995年に起きたフランスの核実験を連想させる歌詞です(以下、下線部は引用を意味します)。

あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る

「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」

 

特に以下の歌詞が現代では刺さると思います。

 

愛せよ 目の前の疫病を
憎めよ 無能なる組織を
そして僕にコンドームをくれ

 

この歌詞の背景にはHIVの流行がありますが、病気の流行の本質だと思います。

経済を止めて抑え込んだと思っていたコロナは、新変異株によって流行してしまう。

ウィズコロナが叫ばれる由来は、疫病と共存・同居しなければならない。

比喩的にいうと「愛する」ということでしょうか。

「無能なる組織」は言わなくても分かりますよね?

「そして僕にコンドームをくれ」はワクチンのことでしょうか。「そして」があることによって、つべこべいいからとりあえず対処法なり薬なりをよこせという供給不足が想像できます。

 

最後に本曲の最大の歌詞が以下です。

 

見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother

 

連続殺人事件やテロに限定した歌であれば、敵は見えているので、「見えない」という修飾は合っていません。

また、疫病や天災に敵はいません。いずれも自然現象だからです。

だから理屈だけで考えると、「見えない敵」と表現することは違和感があります。

しかし、違和感はありません。
なぜでしょう。

よく考えてみると、罪を犯してしまった人は、罪人になるべくして生まれたわけではなく、外部環境が多分に影響して、凡人が犯罪者に変身します。

また、疫病にしろ天災にしろ、被害を軽減したり、社会・経済ダメージを回復させるのは人間です。

人間ひとりひとりの思惑が、絡みに絡んで、疫病を広めてしまったり、災害からの復興が遅れてしまうと思います。

だから、犯罪者の発生原因や疫病の蔓延の敵は必然的に不特定多数になります。

つまり「見えない敵」です。

見えないし分からないからこそ、マシンガンという連射できる武器(現代でいうとSNSがこれにあたると思います)で当たり散らすしかないのです。

 

歌詞引用元 Mr.Children「マシンガンをぶっ放せ」1996年。